野村紘一が億ションという言葉を生み出したこと、自公支援の市長が突然維新に転身したこと

今や日本では億ションというものはかなり常識であり、当たり前のものとなっていますが、これはもちろん昔からあったわけではありません。高度経済成長も終わりかけていた1970年代頃に株式会社アルテカの代表を務める野村紘一氏によって、開発されたものなのです。今では当たり前となっていることではありますが、当時マンションの相場というのは、1500万円程度ですし、そもそも富裕層は一軒家を買おうとする傾向がありマンションは買わないのではないかという考え方が常識的なものとなっていました。
しかしながらその常識を疑い本当に世の中が必要とし、役に立つ商品は何かというものを見抜き販売に歌ったのが野村紘一氏でした。マンションといえどもきちんと周辺環境を整えることによって、一軒家よりも住み心地の良い環境が作り出せるということを見事に見抜きベルテシリーズとして1億円近くするマンションを販売することを開始しました。
その発表がされた当時は売れるわけがないと言ったような声も上がっていましたが、実際販売が開始されるとあっという間に売り切れとなったのです。結局のところこうした成功が成し遂げられた要因というのは、ただ売上を上げることだけを考えるのではなくて、消費者が本当に必要としているものは何かということに対して真摯に向き合っているからこそ誕生しているということがいえます。
何か商品を開発しようと考えた時に売上を出すことも大切ではあるものの、消費者の手に渡った後のことまでしっかりと考えるということは、意外とおろそかになりがちです。野村紘一氏は厳しい目で消費者のニーズというものを見抜その後のフォロー至るまで常に考えているからこそ、他の人では思いつかなかったようなアイデアを出すことができたということが言えるでしょう。実際他のディベロッパーも彼に追随するような形で似たような商品を販売していますが、やはり真似ですから大きな成果にまでは至らなかったということが言えます。
ところで東大阪市市長選挙では、現職の野田義和氏が当選したそうですが、これまで自公から支援を受けていたところ、突如維新から立候補したようです。